アナログレコード人気再び

CDの3~7倍の情報量で音質が良いハイレゾ対応のプレイヤーが続々登場し、音楽配信も歌謡曲など多ジャンルに広がっている。そんな中、アナログレコードの人気が復活し、昨年8月にはHMVがしう屋に専門店をオープンしたそうだ。アナログディスク生産数量をみると2009年に底を打ち、以後は増加しているとのこと。なぜアナログレコードの人気が高まっているのかと言うと、アーティスト側の音やジャケットへのこだわりと、こだわって聞きたい人の興味の両方が上がってきたからではないかということのようだ。今ではiPhoneなどの普及で常に音楽を聴くのが当たり前になっている。しかし身近になり過ぎて音楽が消費物になってしまったという側面もある。趣味的志向がある人にとって消費するだけの音楽は物足りない。音に興味がある人は違いが分かるのでいろんな音を聞きたいと思い、針を落とす度違う音になり、コンディションを整えることで変化し新しい音に出会えるアナログレコードが琴線に響いたようだ。また、国内外のアーティストもピクチャー仕様や凝った仕様のアナログ盤を出しているが、今はオーディオシステムを持っていない人が多いのでコレクターズアイテムになっている場合が多かった。ところが昨年ごろからスピーカー、USB端子が付いてPCやスマホにダウンロードできるオールインワンで1万円前後のレコードプレイヤーが販売され始めた。これがレコードを聴く大きなきっかけになっているようだ。レコードを聴くというのはデータやCDと違って早送りができない。一度針を落としたらA面を聴き終えるまで時間がかかる。だがそれがまたいいのだという。レコードを聴くということは、その時間の流れ方も含めて魅力なのだそうだ。便利になり過ぎて慌ただしい日常を送っている現代人にとっては、不便で時間がかかるレコードの音に耳を傾けるのは贅沢な時間なのかもしれない。

「アナ雪」続編か

日本でも異例の大ヒットを記録したディズニーアニメ映画「アナと雪の女王」(英語タイトル「FROZEN」)の続編の企画が進行中だという。すでに2015年の春に公開予定になっている、「アナと雪の女王」の短編映画「フローズン・フィーバー」(「Frozen Fever」)に加え、本編の続編やミュージカル(舞台版)の製作なども予定されているという。アナと雪の女王は日本の歴代興行収入の3位にランクインをし、関連グッズや商品も同じく大ヒット。また、アニメーション部門でのアニメーション映画の全世界興行収入も「トイ・ストーリー3」を抜き、歴代1位を記録した。世界的にも大注目されている、「アナと雪の女王」。続編も大ヒットとなりそうだ。

百田尚樹

同志社大学法学部を大学生活5年目で中退。その後放送作家となり、「探偵ナイトスクープ」のチーフライターを25年以上務める他、「大発見!恐怖の法則」などの番組の構成を手掛けた。2006年「永遠の0」で小説家デビュー。第30回吉川英治文学新人賞候補、第6回本屋大賞5位に選ばれ、映画化もされた。単行本と文庫本で累計発行部数は480万部を突破している。2013年に「海賊とよばれた男」で本屋大賞受賞。同年9月から週刊新潮にて「フォルトゥナの瞳」を連載開始している。小説家デビュー後はコメンテーターとして情報番組へも出演している。「永遠の0」の執筆に集中するために、本業の構成作家としての仕事を断るようになり収入が激減したため夫人に詰め寄られたが、執筆途中の原稿を読ませたところ「何としてでも書き上げて、世に発表しなさい」と逆にハッパをかけられたという。趣味はマジックと囲碁。

幸せホルモンセロトニン

近年、日本では精神的な疾患を抱える人が増えている。

うつ病、パニック障害、PTSD、様々だ。

そんな精神的な疾患にもっとも有効なのが、セロトニンの分泌を増やすことだ。

セロトニンは別名、幸せホルモンとも言われている。

セロトニンの分泌を増やすことで、免疫効果や、精神的な疾患の予防にも効果がある。

では、そんなセロトニンはどのようにして増やすことができるのだろうか。

まずは、日光にあたること。

人も植物と同じで、日光にあたると免疫力が上がり、気分も良くなり、良いこと尽くしだ。

そして、早寝早起きの規則正しい生活を送り、よく笑うこと。

よく笑うことは、セロトニンの分泌増やす、もっとも手っ取り早い方法だ。

楽しくなくても、口角を上げ、笑うことが良いとされている。

今日から生活に生かしてみてはいかがだろうか。

菅原道真

喜光寺(奈良市)の寺伝によれば、道真は現在の奈良市菅原町周辺で生まれたとされる。ほかにも菅大臣神社(京都市下京区)説、菅原院天満宮(京都市上京区)説、吉祥院天満宮(京都市南区)説、菅生寺(奈良県吉野郡吉野町)、菅原天満宮(島根県松江市)説もあるため、本当のところは定かではないとされている。また、余呉湖(滋賀県長浜市)の羽衣伝説では「天女と地元の桐畑太夫の間に生まれた子が菅原道真であり、近くの菅山寺で勉学に励んだ」と伝わる。

船橋のあれこれ

船橋市の人口は、千葉県で2番目の様だ。

市域の広がりは東西13.86km、南北14.95kmだそうだ。最高点は習志野3丁目の32.3mであり、最低点は南海神1丁目、湊町1丁目の0.2mとなっている。中央部一帯は平坦な洪積台地で、下総台地の一部を形成している。臨海部は沿岸流によって形成された砂丘地帯となっており、一部海抜ゼロメートル地帯が広がる。かつては遠浅の海岸であったが、現在はほとんど埋め立てられ、唯一三番瀬のみが当時の名残を見せるという。

市内には西部を南流して東京湾に注ぐ海老川、東北部を東流して印旛放水路に注ぐ神崎川があり、下総台地が海老川水系と利根川水系の分水界を形成している。台地と砂丘の間の低地は沖積平野となっている。かつては台地縁近部の樹枝状侵食谷には谷津田が営まれ、台地上は林と畑であった。現在では台地上下に住宅地が広がっているのも魅力だ。

クーリエ

クーリエ(英語: courier)とは、本来は外交官業務の一環で、外交文書を本国と各国の大使館・公使館等の間、あるいは大使館・公使館相互間等で運搬する業務のこと。

外交関係に関するウィーン条約では「外交伝書使」と呼称されている。英語における courier はフランス語から英語に入った言葉で、急使や飛脚 (runner) といった意味である。

外交文書には機密文書も多く含まれることから、運搬業務に当たっては厳重に封印が施され “DIPLOMAT”(外交官)の文字が印刷された機内持ち込み可能な巾着袋「外交行嚢」(外交封印袋)を用いる。また、一般に外交特権の一種として、行嚢の中身に関しては税関などで確認を行われないことが認められている。

近年ではこれが転じ、「航空機を利用して海外へ書類や小口荷物を配達するサービス」を指すことが増えている。この場合は国際宅配便とも呼ばれている。一般的な航空貨物と異なり、荷送り人、荷受け人が輸出入の通関手続きを行う必要が無い。国際貿易関連の書類の多くは、このサービスを利用して発送されている。FedEx/UPS (米)、DHL (独)、TNTエクスプレス (蘭)などがその代表である。

スカンディナビア

紀元前2100年になるとイギリスのストーンヘンジに代表される巨石文化が伝播し、巨石墳を製造して合葬を行うトレヒテルベーケル文化(Trichterrandbecher culture)が形成された。

この時代に入ると石器類の製造技術にも飛躍的な発達が見られ、厚頭斧やフリントの打製短剣などが登場している。紀元前1000年ごろよりユトランド半島中部や西部で単葬墳が見られるようになると次第に周囲へと広がって行き、単葬墳文化(Single Grave culture)が生まれる。

また同じ頃、バルト海東岸やフィンランド西南部では舟形斧文化(Boat Axe culture、キウカイネン文化とも)が生まれている。これらの文化での遺物や遺構などから部族(キウカイヌ)の成立、階級の分化が始まっていたと見られており、インド・ゲルマン人の侵入も相俟って北欧の地は戦乱の時代へと突入していくこととなる

ハンス・モーリッシュ

1889年からオーストリア南東部グラーツ工科大学で助教授になり、鉄が植物の緑化に不可欠であること、植物の根が屈湿性を、花粉管が屈化性を示すことなどを発見している。1894年からはドイツプラハ大学(当時プラハ大学はドイツ語とチェコ語で分裂していた)の教授となり、植物の凍死や鉄細菌などを研究した。1897年からウィーン科学アカデミーの出資により東南アジアへ調査旅行に出る。ジャワ滞在中に、インディゴ染料の発色が発酵ではなく化学プロセスであることなどを発見している。

帰国途中の1898年2月に日本に立ち寄り、当時小石川植物園にあった東京帝国大学植物学教室を訪れている。1909年にヴィースナーの後任としてウィーン大学の教授となる。しかしウィーン大学では研究環境に恵まれないまま第一次世界大戦の戦渦に巻き込まれ苦労を強いられた。この頃に徳川義親から50ポンド(当時500円)の寄付を受けている。

木田優夫

12月5~7日に東京ビッグサイトで開催されていた展示会「SPORTEC2013」で、スポーツ選手のキャリアプランについて講演した木田選手。1986年にドラフト1位指名で投手として読売巨人軍に入団すると、4年目に2桁勝利を挙げて本格的に頭角を現し、97年まで巨人で活躍。98年にオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に移籍した後、99年にはフリーエージェント権を行使してメジャーリーグに挑戦。デトロイト・タイガースなど3球団を渡り歩いた後、2006年に日本球界へ本格復帰した。2012年にプロ野球界を去り、2013年は独立リーグの石川ミリオンスターズでプレー。